ここ最近の私の映画は実生活と強くリンクしているような気がします。それは生活で起きたことを映画にするという単純なことではありません。 先ごろ行われた「国際和解映画祭」においては、以下のようなありがたい講評をいただきましたが、ここ最近の私の映画は同じような感想を抱かせるものが多いようです。 「この作品のもつ、何気ない親近感、安心感のようなものから、それほど劇的ではない日々のなかにこそ人生は成り立っているのだということを改めて教えられました。」(プロデューサー・VCnet理事 市野直親様)※本文より抜粋 最近の作品で言えば、今夏アップリンク吉祥寺にて劇場公開される『土手と夫婦と幽霊』では、普段とは異なる世界を日常的に描くことでその境を曖昧なものにしましたし、『別れるということ』(脚本:星能豊)も身近な者の死を経験した者たちを日常的な時間の上でそこにあるかのように描こうと努めました。
私なりの分析をすれば、二児の父になったことが作品に大きく影響しているような気がします。私にとって今の日常は劇的過ぎるのです。子どもの成長に感動し、子どもを自分の型にはめている愚かさに嘆き反省し、毎朝のように飛び込んでくるショッキングなニュースに悲しみ、子どもの優しさに癒やされる。へんな言い方ですが、日常の方が喜怒哀楽を表現しています。 その反動からか映画ではそこまでレベルを上げません。そのことが逆にドラマチックな演出を抑えて、「日常的」につながっているかもしれません。勿論これは一因に過ぎません。いつか誰かが私の作品を総括してまとめてくれることを想像して、今日も少し映画監督します。週末はいよいよシネマロサです! Comments are closed.
|